一番最初と一番最後
弾き合い会でも「最初と最後じゃなきゃいいっ!」と言われ、嫌がられる一番最初と最後。笑
今日はそのお話。
そりゃあ、何かを順番にやるときどうしたって「最初と最後」というのは出来上がるわけで、それを誰もならないとかはないんですよね。
でも、子供達は知っている・・・
最初と最後はプレッシャーがかかるって。
でもでもでも!
誰かがそれをやらないといけないわけですよね?
「えー!やだやだやだやだ!」と私に言ったところで、誰かがやるんですよ。
グリフェス(グリーンライトミュージックフェスティバル・発表会)の曲順も決まり、プログラムは印刷屋さんに回っています。
来週末には到着しますよ〜。
って、ことでまた戻ります、順番に。笑
曲順が重要視されない場面では「くじ引き」がうちのお教室の定番。
ただ、グリフェスはそうもいかない。
全体の構成もあるし、生徒ちゃんの動き、曲の持つ雰囲気、いろんなことを考えながら曲順が決まります。
もちろん、その子が持った「個性」もね。
なんだかんだと言ったって「最初」と「最後」は必ずいるわけで。
ここは先生に任命された(されちゃった?)子は頑張って欲しいところ。
私ね、この頃とても感じるんです。
最初って誰でも可能性があります。
基本的にプログラム構成を考えて「最初」って決まりますので。
ただ、最後はね・・・
みんなが言う「うまい子」になることが多いです。
それはどうしてなのか?
最初と違って最後は誰でもできるわけじゃないのは、みんな周知の事実。
演奏力はもちろんのことながら、他の要素も必要なのです。
それはなに?
安定感と私からの信頼度です。
これね、先生になって初めて発表会をやった時にひしひしと感じました。
それまでね、子供達と同様に「うまい子が弾く」って思っていました。
先生たちは最初から全員の曲の進行度、頑張り、どこまで掘り下げる気持ちがあるか?をずっと見てきています。
努力する子に報いたいと常に思っています。
その子なりの努力です、他者との比較ではないです。
大人になりひとたび社会に出れば、努力が報われるなんて甘い世界は存在しません。
だからこそ、子ども時代は努力は報われて欲しいんです。
うちでは長年、同じ子が最後を務めてくれています。
でもね、よく考えて欲しいんです。
その子は確かによく指も動くし、曲の仕上がりも早いです。
みんなが言う「うまい子」です。
心は一緒だよね?緊張も一緒だよね?
上手だからって緊張しないわけじゃない。
どっちかってーと、ものすごく緊張しちゃうタイプの子です。
私は小学校高学年から中学生くらいまでかな?
恩師の個人教室で最後を務めていました。
中学生や高校生のお姉さんもいたし、もっとうまい子もいたのに・・・
プログラムで自分の名前を最後に見た時、恩師に尋ねました。
「なぜ、私?もっとお姉さんたちがいるのに?」当時、5年か6年だったかな〜。
恩師は笑って「あなたに任せたいの」と。
それは私にとって大きな誇りでしたが、とても大きな重圧でもありました。
今はわかるんですよ、恩師の気持ちも。そこに配置されたことも。
曲はもらって2ヶ月くらいで仕上がっちゃうし、あとは「せんせー、目隠ししても弾ける〜」と遊んでいるような子でしたからね〜。
見た目、緊張してない感じに見えますし。笑
(目の前真っ白になる程、緊張しているんですけどね。あはは。でないんです)
子供の頃は舞台で大コケしなかったしね。
そらあ、先生だったらそういう子、最後にしますよ。
そしてね、最近気がつきました。
100人近くが在籍するお教室で最後をいただけることは奇跡に近かったってことを。
音楽やっていて最後を任されるって経験は非常に少ないです。
無い等しいかも?
あの司会者の「さあ、最後の演奏となりました」という言葉とともに舞台に出て行った経験のある私だからこそ、最後の重圧を一人に集中させることは常に心の重みでした。
最後と最後から1つ前では本当に全く違うんですよ。
いろんなことをたくさんたくさん考えてプログラムを組みました。
どの子も羽を伸ばして演奏できますように・・・と願いと祈りをこめて。
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