講師たるもの
ふふふ。春の桜の季節なのに、ひまわり画像です。
私の講師像はひまわりな感じかな〜と思って。
タイトルの「講師たるもの」
なんか、こうでなければならんみたいな言葉が続きそうですが・・・
私はそんなに「こうありたい」とかないです。
いや・・・全くないかも?笑
講師たるものと言えるほど、立派な講師かと言われれば「あーごめんなさい。ごめんなさい」と謝っちゃうくらいだし。
うちの保護者さんにお話しするとビックリされる「私、ピアノの先生になりたいとかなろうと思ったことは1度もないですよ。あ〜〜〜って自分の周りの流れを見ていたらなっていたというのが正直なところ」という、先生誕生秘話。
学校に入る頃は「演奏関係へ進みたい」と思っていたし、卒業の頃は「ゲーム音楽作る方面に行きたい」と思っていたし。
まあ、昼から始まって夜中から朝に終わるって勤務に体が耐えられないので断念したんです。
(私のヲタク傾向は学校入ってからじゃないですよ。中学生の頃、近所の電気屋さんがパソコンなるものを貸し出してくれたのがはじまりです。当時、ものすごい高価だったし扱いずらかったけど欲しかった。。。)
在学中も卒業後も「先生になる」という選択肢はなかったです。
ただ、もう生徒さんはいましたのでね。在学中から5名前後くらいいたんですよ。常に。
ま、前置き長いけれど「先生になりたい」と1回も思ったことなく、ここで先生やっている人なのです。
なので、講師たるものなんてよくわかりませんですよ、はい。
ただね、講師も人だし、生徒ちゃんも人だし、保護者さんも人なので、人として何か間違ってなければいいんじゃないかな〜って。それは思っています。
(人としておかしいというのは私の中ではセーフ)
講師は講師の立場と思いがあり。
生徒ちゃんは生徒ちゃんの思いややりたいことがあり。
保護者さんはお子さんに夢と希望がある。
そのトライアングルがうまくいけば、たいていのことは越えられるんじゃない?
それぞれ違う意見を持ち、それぞれ思うことが違い、でも先に目指しているものはとても似ていて。
そしたら、あとは調整という名のコミニュケーションでしょ?
若先生たちとの3人講師も多分それが一番大切なんだと思っています。
「ごめんなさい」
「これやってもらっていい?ありがとう」
「これどうやるの?」
「いや〜大変だったー」
謝ること。感謝すること。相手が何でそれをやっているか?を探る心。頼むこと。我慢はしないこと。
若先生たちに頑張ってもらっていますが、基本そんなにアドバイス的なことはしていません。笑
彼女たちが見えないところは話しますし、フォローもします。
けれど、普通の会社に入った新卒と違って、彼女たちはもう経験値のある人間です。
しかも3歳とか5歳から音楽やってる・・・
いろんな先生に教わり、教わることの良さ悪さしんどさは十二分に知っています。
だからこそ、教えることにあんなに真摯になれるんでしょう。
だからね「講師とはこうあるべき」とかないです。
「人として素敵であればいい」と思っています。
私よりとーっても遠慮深いので、黙っていると前に出てきませんから、これやって〜あれやって〜の無茶振りはしますよ、ふたりに。
あ、それはレッスンでも一緒か。
みきこ先生が入っている時、うちの生徒ちゃんが
「せんせーの無茶振りなんていつもだよ、慣れたよ。もういいよそれで。仕方がないんだよ」と言ってました。
そう。そんな先生だよ。ごめんねと返しながら笑っている私を、みきこ先生とその生徒ちゃんでなんか寂しく見てたし。
講師たるもの。
こうでなければならんということはない。と体現して日々やっています。
笑って楽しく。笑えるうちはたいていのことは大丈夫だし。
時に失敗して、ごめん!って生徒ちゃんに謝って、でも、生徒ちゃんが間違っちゃった時もごめん!さえ言えればいいんですよ。
それで二人の関係はオッケーでしょ?
講師は上から目線で「教える人」ではないと思っています。
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